当店のホームページに訪問してくださり本当にありがとうございます!
身体調整かわしまでは受付から施術まですべて私一人でしています。
ご来店の前にあなたが私という人間がどんな感じなのか気になるかも知れません。
そこでこのページでは、私のプロフィールを紹介いたします。
どうして頭を中心とした整体をしているのか?
今までの歩みなどをお伝え出来れば良いなと思います。
よろしければお付き合いください(笑)
母の地元の青森県で生まれ、品川区や世田谷区で育ちました。
外で遊ぶのが大好きで、宿題は常に後回し、とうぜん勉強が苦手な少年でした。
幼少期は目が悪く(遠視)牛乳瓶の底の様なメガネをかけていました。
心配した両親が小学校低学年の頃に塾に通わせてくれましたが全く成果が出ず(笑)
小学1年生から高校3年生まで、ほぼ野球だけをしていました。
学校から帰ったら近くの公園で野球をして、夜はテレビで巨人戦を観て育ちました。
小学4年生の時に初めて肘を痛めて、中学2年生でぎっくり腰をやってしまいました。
1〜2か月が経って接骨院のOKが出たので、野球部に復帰した初日、走った時にまたぎっくり腰になりました。
痛みでほぼ動けません。
あの時はちょっと接骨院の先生を恨みました(笑)
悪いのは自分ですが…
高校では先輩の甲子園出場について行ったのが良い思い出です。
高校卒業まで野球しかして来なかったし、勉強が嫌だったので何も知らずに社会に出てしまいました。
ただ漠然と入社して会社を半年で退社。
その後はアルバイトなど、職を転々として両親には心配をかけて、人生にさまよっていたと思います。
自分に出来る事とか、やりたい事って何だろう?
自分が肘や腰を痛めた時に、もっと親身なってくれる人がいれば・・・
そんな想いがあったかも知れません。
なんとか思いついたのが、スポーツ系や施術などの身体に関する仕事に就く事でした。
専門学校は2年制の整体の学校と、3年制の鍼灸の学校で学びました。
専門学校に行きながら、コンビニや整体院、整骨院で日中働き、夕方から授業でしたが不思議と辛くなかったです。
リラクゼーションマッサージのバイトをして結構びっくりしたのが、国家資格を持っている人が多く働いていた事です。
平成の接骨院って結構体育会系の所があったので、ついて行けない人も多かったかも知れませんね。
鍼灸の国家資格を取得した後は、バイトしていた鍼灸整骨院に副院長として勤務しました。
休日には訪問の鍼灸院を開業して施術してました。
訪問鍼灸院では、自分の知識と技術では難しい症状の人だったり、うまく行かない事ばかりでした。
勤めていた鍼灸整骨院の分院長として4年間勤務しました。
勉強会などスタッフの指導もしたり、スタッフに助けて貰いながら何とか頑張りました。
当店の今の整体は、頭痛持ちの妻を少しでも改善したいという想いからはじまりました。
月に何度も「片頭痛」に悩んでいて脳神経外科のMRIでも原因が分かりませんでした。
妻は「どうせ治らないから…」と諦めてしまいました。
そんな状態から、少しずつ頭痛改善の糸口を見つけて今ではほとんど頭痛に悩むことない状態です。
その後結婚10年目で妻が40歳の年に長男が誕生しました。
これは頭痛だけではなく体の健康度(自律神経系)が改善したのではないか?
そう思うようになり一人でも多くの人に施術を提供したいと考え2019年に身体調整かわしまを開業しました。
川島 浩史 (かわしま ひろし)
1976年11月25日
国家資格 はり師・きゅう師
世田谷区立赤堤小学校 卒業
世田谷区立松沢中学校 卒業
私立国士舘高校 卒業
メディカルトレーナー専門学校 卒業
中野健康医療専門学校 卒業
日本整体協会CFT学部 卒業
DRT認定インストラクター
スキンドライブ応用編 終了
● 一人一人を大切にする
● 効果と心地のよい施術
● 顧客の考えを否定しない
● 常に技術を磨く
● 店内は常にキレイに保つ